高校生の頃のことです。今では広く普及しているOSのLinuxですが、当時はまだあまり知られていませんでした。とあるきっかけで英語版Linuxの入ったCD-ROMと説明書を入手したのですが、説明書はもちろん英語で書かれています。それでも読めないことはないと、何とか説明書を読み進めて手持ちのパソコンにインストールしました。
仙台で小顔を目指し一緒にサロンに通っていたパソコン好きの友達にその話をしたところ「自分もインストールしたい」と言われたため、CD-ROMと説明書を貸し出しました。LinuxはフリーのOSですのでライセンス上は問題ありません。
しかし、その友達は学校で勉強した程度の英語力で説明書が全く読めないからインストールできない、翻訳してくれ、と説明書のみを返してきました。「インストールできたのだから何とかなるだろう」と、仕方がないので翻訳を始めてみると2つの壁にぶち当たりました。
1つ目の壁は、辞書に載っていない単語です。多くの場合、辞書に載っていない単語は専門用語でした。読めなくてもインストールに支障がない場合がほとんどでしたが、翻訳をするためには何とか訳す必要があります。
2つ目の壁は、日本語として伝わる文章を構成する必要があることです。1つ1つの文を何とか訳してそれをつなげてみたものの、読み返してみると意味が分からない日本語になっている場合が多く発生しました。1文1文は分かるのですが、具体的なインストール手順がうまくつながっていないものになっていました。
これらの壁を打破するため、「完璧に正確に訳すことは諦める」ことにしました。Google翻訳も無い時代です。当時の我が家にはインターネットすらありませんでした。このため、英語で書かれた専門用語の適切な日本語訳など知る由もありません。「インストールに支障が無ければ問題ない」と割り切り、日本語の文だけを見てインストールできるかを確認して日本語版の説明書は完成となりました。
翻訳のシチュエーションは様々です。「間違って伝わってはいけないこと間違えないように」「伝え忘れてはいけないことは必ず訳す」ようにすることは大切ですが、それ以外のことは諦めることも重要だと学びました。